NO.16
大使令夫人、果たしてその実体は?


高島 愛子 (大12期 英文)

昨年8月泉ひさ先生がウイーンをお訪ね下さいました。ウイーン在住のロイドル智子さんと共に瞬時に少女時代に戻りました。12期全員が一枚の写真に収まった南山大学での手作りの4年間の教育が私に与えてくれたものの大きさに感謝しています。
卒業して37年、結婚して31年、夫の転勤に伴い、ボン3回計6年、香港3年、ジャカルタ3年と滞在し、昨年11月に夫が大使として3年8ヶ月勤務したオーストリアのウイーンより帰国致しました。
大使の妻はワイングラス片手に毎日フランス料理のフルコースを食べる優雅な生活をしているとお思いですか。いえいえ、そんな生活をしていたら間違いなく3年後には病気で死にます。フルコースなど週に一度で十分、きしめんの方がホントご馳走です。
場所柄ウイーンでは舞踏会、コンサート、オペラ等々社交の場は毎日あります。が、ここに辿り着く迄には、水不足で夜11時からの断水、街を歩けばひったくりの被害、暴動に備えての食料品の買い溜め、逃げる手助けをしてもらえる様に使用人と堅い信頼関係を作り、水道をひねればミズだけでなくもう一つミのついたミミズも一緒に出てくるし、停電で月明りもない真の闇の中でも平気等々、途上国に於けるサバイバルゲームを、頭も身体も元気に生き抜く日常が待っています。人質事件もありますし。
大使の仕事の一つは本官と現地職員(ウイーンでは70人)を使って実務をする大使館の運営。夫は旧ユーゴの5ヶ国の大使を兼任していましたので、ボスニアやコソボの戦後処理経済協力の仕事が70%になりました。二つ目は大使公邸の運営。公邸は小さなホテルのようなもので、お客様をお泊めする事もあり、私費で雇った料理人を使い、公式晩餐会・立食パーテイー等々、少人数から200人までの食事を用意します。この部分が大使より大使の妻に委任される部分です。大使の妻の仕事の大部分は、早い話が旅館の女将さんみたいなものです。
メニューを決め、200人分ともなれば一日がかりで買い出しをし、お庭やサロンを整え当日の朝家中にお花を飾りテーブルセッテイングをして準備は終わりです。が、コックが和食の知識皆無であれば、和食ブームのウイーンでは(3年の間にお寿司屋さん70軒)当然のように懐石料理が期待されますので、晩餐会開始の15分前までキッチンでドタバタする羽目に陥ります。30年前は和食の食材の入手など不可能で、うどんやカマボコ、和菓子を自分で作るのは当然、生きたウナギがいれば自分で割いて蒲焼を作り、鶏を飼って卵を生ませたりしました。これはアフリカやアラブに勤務すれば今尚常識です。
その昔、「英語話せる?ドイツ語話せる?」ではなく「飯作れる?」と訊かれて「は?何それ?」と思いましたが、これは正しい質問だったのですよ。
愛知県出身、12期英文。名古屋都ホテル、CBS/sony 勤務を経て結婚。夫と息子三人。