NO.27 私のセビリア万博 桑山仁美(大39期英文・院40回英語教育) |
1992年スペインのセビリア万国博覧会で勤務した。コロンブスのアメリカ大陸到達500年を記念しテーマは「発見の時代」であったが「発見」という語が論議になり、「到達」あるいは「出逢い」という語に置き換えて使用することが多かった。また1492年はスペインでの”レコンキスタ”の完了、ユダヤ人の追放など世界史の重要な出来事があった年でもあ る。 外国での万博は他国に日本のことを知ってもらう良い機会である。情報化の進んだ現代においてもさまざまな文化、言語を持つ人々と直接交流できたことは貴重な経験であった。そして多くの西洋の人々にとって、日本はまだまだ遠い東洋の国であると実感した。 当時は冷戦終結直後でもあり、万博も全体的に楽観的な雰囲気だった。東欧や旧ソビエト連邦の国々が独立し、開催国が日々増えるという激動の時でもあった。日本とスペインとは特に懸念事項もなく、比較的安全であったが、諸外国のテロに巻き込まれる危険もあり緊張した日々でもあった。私は英語担当であったので、欧米、アラブ、アジア諸国の元首をはじめ、普段会えない世界中の多くの人々と会うことができた。またホロコーストを生き延びたユダヤの方々、砂漠の生活を話してくれたアラブの王子たちなどのいろいろな話が、今胸に浮かぶ。 日本館のテーマは「WHYの発見」であり、バブルの終わりごろであったが、なぜ日本が高度成長を遂げたのかを、歴史的、文化的に探ろうということであった。具体的には神仏融合、安土城の再現、折り紙などであった。印象深いのは、外国の人と相互交流することにより、私自身日本を「再発見」できたことである。日本、そして日本文化がどのように西洋で考えられているかも多くの人から直接聞くことができ、興味深いものであった。 セビリアはビゼーのオペラやメリメの小説で名高いカルメン、モーツアルトのドンファンの街である。そしてかの地で大勢 のカルメンやホセたちと働くのは大変ではあったが、とてもおもしろかった。 愛・地球博が2年後にせまった。議論のある万博であるが、世界の平和、環境保護に貢献できれば、価値があるものとなるのではないだろうか。今現在米国がイラクを攻撃しようとしている。私は当時万博でもっとできることや、やるべきこと があったような気がしてならない。多くの人がさまざまな人と交流し、新しい「発見」や「出会い」をし、「私の愛・地球博」と言えることができれば世界に貢献できるのではないか。 帰国後、英語を教え始めたが、言語とともに異文化の理解が重要だと感じ、南山の大学院で学んだ。そこで経験と理論を自分の中で統合でき、より深く万博での事象を理解することができた。 最後になりましたが、あのような経験ができたのは南山で学んだことのおかげだと思います。この場をお借りしてお世話になった先生方、友人たちに感謝したいと思います。 |