クローズアップ 南山同窓生

NO.28

利益より社会のニーズの高い
商品開発に
生きがいを見つけた

野辺 進(大2期 英文)
インタビュアー/小林昌靖(大4期英文)

小林―野辺さんは、いろいろな分野で活躍しておられるようですが、現在の業務内容をご紹介いただけませんか。
野辺―そうですネ。食品用・超純水用の継ぎ手、小型チューブカッター、超高圧自動ボール弁、小型電磁弁、電子スケール、接着剤といったものから、今では便秘解消の自然茶、高麗人参、アガリクスといった機能健康食品など、人々の要望に応じて取り扱っています。
小林―以前は、どこかにお勤めでしたか。
野辺―昭和24年、工業高校卒業と同時に、南山大学に入学し、東亜合成(株)に、技術員として入社。昭和27年暮れの工場大爆発事故にも遭遇し、九死に一生を得たこともありました。サラリーマンとしての転機は、アロンアルファとの出会いでした。東亜合成という会社を知らなくても、瞬間接着剤のアロンアルファを知らない人はいないでしょう。昭和38年、特命を受けて、東京へ転勤、開発部に籍を置いて、販路開拓を行いました。新規の開拓だった上、商品自体が従来の接着剤の既成概念を破るものだっただけに、市場開拓は遅々として進みませんでしたが、この製品に対する関心は高く、玩具や人形などの軽工業界で重宝されるようになり、やがて、精密機械工業界でも売れるようになったんです。何よりもうれしいことは、行く先々でお客さんに喜んでもらえることでした。お客さんと共に喜びを分かち合える仕事ほど、やりがいのある仕事はありませんネ。
昭和53年、東亜合成が、ナイロン原料の供給とともにナイロンチューブを手掛けることになって、フランスの会社と合弁で設立された会社に出向を命じられたんです。この会社は、私が出向する1年前に設立されていたのですが、大赤字で、倒産寸前でした。私は、会社側に打開策を提案したのですが、なかなか受け入れてもらえず、苦労しました。やがて、私の主張を受け入れてくれましたが、代理店は、もとより、部下までも、だれ一人として協力しようとしない状況で、会社に寝泊まりして、孤軍奮闘の毎日が続き、ついに胃に穴が開き、医師から即入院の宣告を受けたんですが、とても休める状況ではなく、知人から頂いた高麗人参を飲んで、頑張りました。その執念と努力が実って、家電メーカーの松下電器への売り込みに成功、会社は急成長を遂げ、その後、実質的な社長にもなり、私個人でも、フランスで会社をつくりました。
小林―それが、なぜ健康食品関連の仕事にかかわるようになったんですか。
野辺―54歳の時、そろそろやりたい仕事だけやろうと思ったんです。前にお話したように、胃に穴が開いた時、高麗人参で、体力を回復したこともあって、健康食品には、特に関心を持っていました。戦後、日本人の食生活の欧米化に伴って、大腸ガンが、急激に増えています。長年、穀物と野菜で育ってきた遺伝子を持つ民族が、急に肉を食べるようになれば、大腸ガンが増えるのは、当然でしょう。それを減らすために、腸の動きをよくし、宿便がなくなる食物繊維たっぷりのお茶を開発したんです。その他、高麗人参、さらには、ガンに著しく効果のあるアガリクスを、いち早く、ブラジルから輸入し、西洋医学では、なかなかはかばかしくない患者さんたちにお分けしています。私の扱っているアガリクスは、アメリカのFDAの承認品で、末期ガン患者の延命効果があり、患者さんやご家族の方から、感謝されています。それが私にとって最大の喜びになっています。
40代のころは、自分のことばかり考えて、行動しておりましたが、50代に入って、他人に喜んでもらえるような仕事が、人間として、最も生きがいのある仕事であることに気がつき、少しでも、人々のためになることであればと、日夜過ごしております。
小林―まさに、悟りを開いたような心境ですネ。この他に、三好町にバイオ農場をもっておられますが、紙面の都合もありますので、またの機会にお伺いすることにします。
今日は、どうもありがとうございました。